ビジョナリーな人たち 下関市民ミュージカルの会   代表・演出家 伊藤寿真男

2013-09-02

後援:観光庁
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生まれた街に舞い戻った男の生きる道は
市民の手によるミュージカル
下関に本物の文化を育てたい

伊藤寿真男

下関市民の手によるミュージカルは本物である。
劇団四季をはじめ、多くのプロ俳優を輩出し、
全国の市民参加型ミュージカルの草分け的存在になった市民ミュージカル。
「演じるのではなく、本当の気持ちを伝えよ」と、
代表の伊藤寿真男氏は言う。
「東京のプロには頼まない。
それでは地元に文化が蓄積されないから」とも。
商売っけなく、不器用に25 年。
本物を追究し続ける男の物語である。

伊藤寿真男(いとう すまお)

1948年下関市生まれ。早稲田大学商学部在学中に劇団四季附属研究所に入所。卒業後、ソニー㈱に入社。30歳で下関市に戻り、映像制作の会社を立ち上げる。1988年、『下関市民ミュージカルの会』を設立。全作品の脚本、演出を担当し、自ら出演することもある。同会はサントリー地域文化賞、山口県文化振興奨励賞、宝塚ミュージカルコンクール金賞を受賞している。



下関市で毎年秋に行われる『源平n ig ht in 赤間神宮』。赤間神宮正面拝殿前の大階段を特設ステージとして、豪華絢爛な歴史絵巻が繰り広げられる。
2005年から始まったこのイベントは観覧無料。なぜかというと、このミュージカルは脚本から演出、演奏、振り付け、舞台効果などの裏方からキャストまで、すべて下関市民の手で行われているからである。

『下関市民ミュージカルの会』の発足は1988年。会の結成を呼びかけたのは、プロとして劇団四季の舞台に出演していた伊藤寿真男さんだ。「ウチは裏も表も下関市民です。音楽などのプロフェッショナルの部分には、少しだけ下関以外の人の手も入っていますが、それもまったく下関とは関係のない人ではありません。

また、ここでミュージカル作りを経験してプロになった人もたくさんいます。そんな人たちが『たまには地元に帰ってミュージカルをやりたい』ということもありますが、丁重にお断りします(笑)。
なぜなら、ここは彼らに続く人たちを育てる場だから。タレントを養成するつもりでやっているワケではないのです。東京から人を呼ぶと、1回限りになってしまう。それでは地元の文化が育たないんですね」

源平night in 赤間神宮源平night in 赤間神宮

芝居をやめた男のところに

訪ねてきた劇団員

 伊藤寿真男伊藤さんが劇団四季に入団したのは早稲田大学在学中である。大学を卒業すると、演劇の世界から離れてソニーに入社した。

なぜ演劇を離れたのか?と尋ねると、「浅利慶太さんと喧嘩しちゃったから」と、小さく笑った。

「でもね、劇団四季の浅利慶太さんとソニーの盛田昭夫さんのような、まったく違う分野のトップ2人に師事したような人間は、日本中を探してもあまりいないんじゃないかな(笑)。

僕は早稲田では、寺山修司や唐十郎に憧れて、チェーホフやゴーリキーなどの芝居をやっていました。アングラ芝居ですから、難しい言葉を使って、わからない観客が馬鹿なんだという立場でやっていたわけです。しかし気づくと劇団四季のような商業演劇に長蛇の列ができている。それはなぜだ?と思ったら、『演劇はお客さんがあってなんぼ。喜んでくれる対象者がいるからこそ、演劇は成立するのだ』というんですよ。自分が偉そうにしていたって、難しい理論を作ったって、それを伝える人がいなかったら何もならないんですね。

盛田昭夫さんにはソニー創業当時のお話もいろいろうかがいました。ソニーはモノを売るのではなく、その価値を売る会社なのだと聞いたときは、すごい会社だなと思いました。盛田さんは工学博士なのですが、資格を捨てて、自ら営業マンとしてアメリカを巡ったわけです。

浅利さんは文化の頂点に立ち、盛田さんはビジネスの頂点に立った。僕はお二人から素晴らしいことを学びました。それは私の財産です」

ソニー時代は高度成長期で、寝る間もないほど働いた。全国に転勤し、その回数は8回にも及んだ。そして30歳のとき、伊藤さんは下関にUターン就職した。

一度芝居をやめてからは、一切、芝居からは遠ざかる日々。下関に帰ってきてからは映像制作の会社を立ち上げていた。そんな伊藤さんのところに、劇団四季の制作担当の女性が訪ねてきたのである。
「劇団四季は1回の公演に450万円かかるのですが、あるところから補助金が出たので、1ヶ所250万円のお金を集めてもらえたら、下関市の子どもたちを無料で招待できるというんです。実際、その女性が劇団四季に入ったのも、子どもの頃に四季の公演を観たからだというんです。これは是非、協力したいと思いましたよ。でもね、これはローカルの特徴なのですが、ミュージカルにお金を出してくれるところなんてないんです。とにかくお金が集まらない。大人が見る音楽のコンサートは別ですが。下関の子どもたちに本物のミュージカルを見せることはできないのか? 我が子にも見せることはできないのか? と思ったとき、それなら自分で作るしかないと思ったわけです」

〝老後を捨てて〞
地域文化の発展に尽力

そこから苦悩の1年間がスタートした。市内の音楽、踊り、芸術の分野で活躍する人々に協力を呼びかけて、新聞紙上でも参加者を募った。集まったのは、家庭を持ち、職業を持ち、学校に通う市民たち。伊藤さんの指導のもと、歯を食いしばって第1回公演の日を迎えることができた。

あれから25年。稽古場の家賃を払い、無料で下関観光イベントを行い、市内の数々の学校でも公演を行ってきた。定期公演は子ども1 0 0 0 円、大人は2000円という破格の値段である。

「浅利慶太さんにもっと、商売のことを教えてもらえばよかったなぁ」と笑う伊藤さん。身を削って下関の文化を育てようとするエネルギーはどこから来るのだろう?

「下関にこだわる理由は……自分が生まれた街ですから。ここは天災が少なく、穏やかな土地です。安心して暮らせるんです。だから子どももこの街で育てたいと思いました。この街のためになるなら、この街に人がたくさん来てくれるなら、自分の持っているノウハウは何でも使いたいと思うんですよ」

〝もう老後は捨てたから〞と明るく語る伊藤さん。それでもミュージカルをやりたいと熱望する、地元の人々のことは捨てないで欲しいと願う。他のどこにもない物語のために。

◎木村の視点

木村の視点行政やスポンサーの手を借りず、市民による市民のためのミュージカルを自力で立ち上げて二五年。集まったのは、ほとんどがミュージカル初体験という人ばかりだったというから、その御苦労たるや、さぞかし想像を絶するものがあったに違いない。

果たしてオフィスに併設された広い稽古場や美術倉庫の家賃と収入のバランスは取れているのだろうか? 他人事ながら心配しているこちらの心を見透かすように「もう老後は捨てたから!」と明るく答える伊藤さん。
おっしゃるように、「人生は風船のようなもの。押すとへこむけれど、中の空気の量は同じ。へこんだ部分だけを見ると落ち込んでいるように思うけれど、裏から見れば別の部分が膨らんでいる」ということなのか。

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