ビジョナリーな人たち 相原誠則 

2013-05-31

後援:観光庁
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おもてなしの心から広がる人々の輪

老若男女の知恵と力が集結し、協力しあって生きる坂本屋

山深い松山市坂本地区。
四十五番札所・岩屋寺と四十六番札所・浄瑠璃寺の間に『坂本屋』がある。
ここに家族のように集う人々は、年輩は若輩に生きる知恵を授け、
若輩は年輩に生きる力を与えている。
お遍路さんの旅の疲れを癒すため、10年前に設けられたこの休憩所は、
この地に暮らす人々が、将来に活路を見出す場所でもあるのだ。

相原誠則

相原誠則(あいばら しげのり)

相原石材彫刻店の三代目。愛媛県より石施工部門における県第一人者認定の「愛媛マイスター」の称号を受け、職人の育成に関わる。
愛媛県武道館の外壁石積み工事や愛媛大学農学部にある愛媛県農業先駆者の碑など、数多くの作品がある。坂本屋の前に建つ「伊
予松山は明治が似合う」と記された、なにわの坊ちゃんこと石浜典夫氏の石碑も相原氏の作品。

『坂本屋』『坂本屋』

松山と高知を結ぶ土佐街道。別名、松山街道は古くは土佐の国府に通じる官道で、人々と物品が行き交う産業道路でもあり、そしてお遍路さんが通る道でもあった。
道中、最も勾配が急な難所は松山市と上浮穴郡久万高原町の境にある三坂峠。昭和40年代に修復されてもなお、幅が狭くきつい傾斜の〝山道〞がある峠である。

息を切らして山道を登り、見えてくるのが、今が平成の世であることを忘れるような古民家「坂本屋」だ。
「ようこそいらっしゃいました。お茶を煎れましょう」と笑顔で迎えてくれたのは船田トシ子さん。この民家の家主である。

「この家はな、50年ほど前までは遍路宿として使っておったけど、じいさんが104歳で亡くなってからは住む人もなくて傾いておってな。コンクリートで反対側から抑えておけばいいと言っておったんだけど(笑)、そうもいかなくてね」と語りはじめたのは御年8
0歳という中川重美さん。

「ちょっと寒いから火でも焚きましょう」と、囲炉裏に薪をくべたのは相原誠則さん。坂本屋の運営委員会会長である。
まるで日本昔ばなしの中に招き入れられたような気持ちになる。相原さんも中川さんも船田さんも、はじめてお会いする方々なのに、いつも一緒にお茶をいただく仲間のような気にもなる。それが坂本屋の〝お接待〞なのだ。

ホタル祭りに雛祭り
メンバーの発案が坂本屋を彩る四季

坂本屋は2003年に地域の文化遺産として活用するために、松山市の支援を受けNPO法人が修復し、翌2004年からお遍路さんの休憩所として運営されるようになった。

運営の中心となるのが、さきほど囲炉裏に火を熾してくれた相原誠則さんである。
「市役所の人やNPOの方々に協力してもらって、ここを立ち上げた最初のメンバーは15人くらいです。当時私は50歳前で、40代、5
0代のメンバーが中心となって、なんとか地域おこしをしたいとよく話し合っていたんです。そこで60代、70代の先輩たちも協力してくださって、ここに泊まってもらうのは無理だけれど、お遍路さんたちにお茶やお菓子をお出しすることはできるという話になったんです。まずこの家を建築家に見せたら、傾いてはいるけれど修繕できるという話でした。そこで市からも少しお金をいただいて、立ち上げに関わったメンバーたちが自分たちの力量を発揮して、この家を修繕したんです。何しろメンバーには大工、左官屋、石工がいましたからね(笑)。

また、このあたりはたくさんホタルが飛ぶので、5月下旬から6月にかけてはホタル祭りをやろうと。さらにここには庄屋の娘さんがお嫁入りしたときに持ってきた、170年くらい前の珍しいお雛様があるので、3月にはお雛祭りをやろうとか、いろいろなアイデアが出てきましてね。そんなイベントを数年続けていると、何かおもしろいことをやっているな、と話題になって、テレビや新聞などが紹介してくれたんです。そうなると、自分も参加したいという人が出てくる。立ち上げ当時は、そのうち老人ばかりになってしまうかなと思ったんです けれど、若い人も徐々に参加してくれるようになって、気づくと10年も続けることができました」

 坂本屋の利益は
さまざまな人たちとの交流である

坂本屋の立ち上げに関わった松山市役所の川﨑義昭さんは言う。
「約10年前、松山市の地域が主体となって取り組むまちおこしの呼び掛けに対して、いくつもの団体が手をあげましたが、こうやって地道に活動を10年も続けて来られたのは坂本屋だけです。本当にありがたいことです」
その理由は何だろう。〝お接待〞のお茶ひとつ沸かすにもガス代がかかる。〝坂本屋〞と刻印された大判焼きも。
「最初は経済的自立のために何か作ろうと、この大判焼きを作りました。でも結局、お金はいただいていません」という謙虚さだ。
坂本屋のパンフレット製作は、松山大学の教授がゼミの学生と共に応援してくれた。運営メンバーの中には学校の先生もいて、教え子の小学生や中学生がお接待を手伝ってくれることもある。
「現実的な運営資金は、お遍路さんの心付けと、運営メンバーの年会費3千円でまかなっています。地元の公民館の催しに協力することで、謝礼をいただくこともあります。それで運営費をなんとか捻出しています。最初は私たちの活動に協賛してくださる方々か
らも会費をいただこうと思ったのですが、会費をくださる方に常にご連絡したり、ご報告したりできるわけではない。それなのにお金だけいただくのは申し訳ないということでやめました。
でもね、ここには日本国中だけでなく、海外からもお客さんがやってきて、交流することができるんです。男性や女性、高齢者も学生さんも来ます。そこで私たちはいろいろな物の見方や価値観を知ることができます。あるいはここの運営メンバーと一緒に、冬は猪鍋をやったり、地元の野菜を持ち寄って料理を作ったり。ここに集う人たちの年齢構成は、会社で言えば新 入社員から中間管理職、そして引退した高齢者と、バランスよく揃っているんですね。皆、家のこと、仕事のことなどを話して、ときには悩み相談になることもあって賑やかです。気分転換にもなりますね。それが私たちにとって一番の〝収入〞ではないでしょうか」と相原さん。

日本中で少子高齢化が問題になっている現在、80歳の中川さんはミカン農園を1人で切り盛りし、「70歳を過ぎてしまいました」と言う船田さんは、山の麓の別棟で一人暮らしをしている。相原さん自身も石工としての技術を伝える後継者がいないという問題を抱えている。しかし、ここには年齢、性別を問わずに交流できる場があって、今年の春にも新たに30代の女性2人が参加する予定だと
いう。
「そうそう、若い人と話していると、年を取らないんですよ」と、嬉しそうに笑う船田さんの笑顔を見ていると思う。坂本屋が10年活動を続けて来られたのは、人を接待しているからではなく、自分たちが活き活きするための活動をしているからなのだ、と。
「ここだけでなく、公民館の活動もあれば、消防のメンバーもいます。気心が知れた仲間が、みんなで助け合っているんですよ」という相原さんの言葉には、小さいながらも煌めく希望の光が見えたのだった。

坂本屋右から相原誠則さん、船田トシ子さん、中川重美さん

◎木村の視点

木村の視点前もって連絡を入れていたとはいえ、訪ねていった私たちを笑顔と優しい言葉で迎えてくれた。「寒いでしょう」と囲炉裏に火を点けてもらい、お茶ばかりか大判焼きまでご馳走になった。それにしても、皆さんの表情のいいこと。

問いかけに答える相原さんの横でうなずく中川さんと船田さん。
その穏やかな姿を見ていて、暗闇の中で一本の蝋燭の灯が順に伝えられていくにつれ、周囲がだんだん明るくなっていくキャンドルサービスのように思えてきた。たくさんの人に分けても、灯は少しも暗くならないし、与えれば与えるほど、人の心に暖かい灯をともし次から次へと増殖をしていくのだろうな。震えな
がら訪ねた「坂本屋」からの帰り道、それほど寒さを感じなかったのは、私の心の中にも暖かい灯がともったのかもしれない。「心の身じたく」を整えねば!

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