ビジョナリーな人たち 佐伯 博 立山黒部貫光株式会社 立山貫光ターミナル株式会社 取締役社長

2012-11-28

後援:観光庁
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山登りの達人だけが山男ではない

山を守り、 厳しい社会情勢を乗り越える 静かなる山男、ここにあり

立山黒部アルペンルートは自然環境の厳しい山岳ルートである。 このルートの富山側の交通、宿泊、観光サービスを 一手に引き受けるのが立山黒部貫光株式会社と 立山貫光ターミナル株式会社である。 霊山と言われる立山にトンネルを通し、 この地の人々の暮らしを守り、観光客の安全を守る。 それは責任感と使命感なしには成し遂げられない仕事であると、 六代目、佐伯博社長が静かに語った。

佐伯 博

昭和22年、富山県中新川郡立山町芦峅寺生まれ。

芦峅寺は 江戸時代から立山信仰の拠点として栄え、

戦後は山岳ガイド の集落として知られる土地である。

京都産業大学経済学部 を卒業後、昭和46年、立山黒部貫光に入社。初代社長も 佐伯姓だが、

佐伯姓の多い土地柄によるもので縁戚関係で はない。

同社では主にホテル業務に携わり、現弥陀ケ原ホテル の初代支配人を務める。

平成23年、取締役社長に就任。

立山黒部。霊山として尊崇されてきたこの 雄山直下にトンネルを掘る。標高2500m の高地、想像を絶する建築工事を請け負った のが、昭和3 9年に設立された立山黒部貫光株 式会社である。社名が「観光」ではなく「貫光」 であるのは、「貫」とは時間を、「光」とは宇 宙空間、大自然を意味している。

「日本国土 の中央に横たわる中部山岳立山連峰の大障壁 を貫き、富山県と長野県を結んで国土の発展 をはかり、地方自治の振興に寄与したい」と いう高邁な理念をもとに、創業者佐伯宗義社 長が社名を「貫光」と命名したのだ。

立山黒部アルペンルートが全線開通したの は昭和46年。六代目となる佐伯博取締役社長 が入社した年でもある。

「私は京都の大学に進学していたので、就 職は富山県外でと考えたこともありました。 しかし富山県人としての私は、富山県におけ る立山黒部貫光の初代社長、佐伯宗義先生の 功績も身にしみて知っていましたから、立山 黒部アルペンルートの全線開通は衝撃でした。 さらに私は長男です。そこでなんとか故郷の 富山県で就職したいと、この会社に入社した わけです」

立山黒部貫光(株)は、富山県の黒部湖駅 から立山駅までのケーブルカー、ロープウェ イ、トロリーバスおよび高原バスを運行し、 系列企業の立山貫光ターミナル(株)が宿泊 と駅舎および公共サービスを一手に引き受け る。つまり立山黒部の(交通・観光)事業 に関わるすべてを運営・管理する。そこであえて「御社のお世話にならなければ、山に 登ることも、景観を楽しむことも、山を下り ることもできないのですね」と、意地悪な質 問をすると、佐伯社長は困った顔をしながら もこう説明してくれた。

「ここは非常に雪深い土地です。工事をす るにしても限られた期間に済まさなければな りません。もともと電気が通っていないこと もあり、トンネルを掘るにも自家発電しなが ら工事を行いました。標高2500mという こともあり、ロープウェイの設置もヘリコプ ターによる資材運搬になります。気圧も低く、 工事をする人にとってもさまざまな影響があ ります。非常にお金がかかる中、初代社長は 資金難に苦しみながら工事を成し遂げること ができました」

まさに世紀の大事業である。工事完了の後 にはホテルやレストランで提供される食材や 資材は山の麓から毎日のように輸送しなけれ ばならない。しかも立山黒部アルペンルート の開通は4月中旬から11月末までの限られた 期間である。冬の間、山の人々が働く場所も 工夫しなければならない。まさに自然と闘い、 共存しながらでなければ成立しない企業なの だ。

それでも「昨年の東日本大震災の影響で、 いつもは東北の紅葉を見に行かれるお客さ まが、立山に来てくれました。非常に有難 いけれど、一方で申し訳ない気持ちになり ます」と、大きな体を小さくしている。謙 虚な方である。

環境に配慮した取り組みを

主にホテル畑を長く歩んできたという佐伯 社長。一番の思い出は、弥陀ヶ原ホテルのオ ープンに立ち会ったことだという。

「国立公園の中に建つホテルですから、い ろいろな規制がありました。それこそ屋根の 色、壁の色ひとつひとつを決めるにも規制が あるわけで、それをすべてクリアするのには 苦労しました。ある意味、自然環境よりも厳 しかったかもしれませんね。しかし山登りにも通じることですが、山頂 まで苦労して登ると、景色に感動することも もちろんですが、山から無事に帰ってきたと きにホッとして、『行ってよかったな。また 行こう』と思えます。その醍醐味があるから、 苦労を乗り越えられるのではないでしょうか」

近年は団体客から個人客へといった、観光 スタイルの変化に加え、海外からの観光客が 多いこの地には、世界不況の影響も色濃く影 を落とす。さらに昨年の震災の影響も皆無で はない。そこで佐伯社長は「他にはできないことをやろう」と、社内に呼びかけたのだ。

「会社運営の観点から言えば、経営はしっ かりしなければなりません。開発の必要性も あるでしょう。しかし、同時に立山の自然は しっかりと守りたいのです。 我が社の運営するトロリーバスは、以前は ディーゼルバスでしたが、環境のことを考え てトロリーにしました。高原バスもハイブリ ッドバスに切り替えを行い、あと数台切り替 えれば完全にハイブリッド化が達成します。 ホテルについても、以前は山の上でゴミの焼却 をしていたのですが、今ではゴミの収集車を 麓から上げて運び、山では一切焼却を行わない ようにしました。また、なるべくゴミを出さ ないように、麓で食材の一次加工を行い、山 の上では焼いたり煮たりするだけにしています。  環境をしっかり守り、立山の自然を損なわ ずに後世に伝える。それは山で事業をする者 の使命なのです」

立山に登らなければ男ではないと言われる 土地に育った佐伯社長。当然山男なのですよ ね? と尋ねると、「子どもの頃に仲間と登 るのがこの土地では当たり前のこと。山男な んて大したものではありません」と謙遜する が、立山の美しい自然を後世につなぐと宣言 する姿は、まさに山の男の風格なのだ。

この7 月、「立山弥陀ヶ原・大日平」が、世 界的に貴重な湿地を保全する「ラムサール条 約」湿地に登録された。

弥陀ケ原ホテル周辺 には木道が設置され、自然環境を壊すことなく、

湿地に生息する動植物を観察することができる。

◎木村の視点

日本海側と太平洋側の偏 差を解消して、国土の立体 的な発展を図るべく立山連 峰を貫き、立山黒部アルペ ンルートを全線開通に導い たのが初代社長の佐伯宗義 氏である。

現社長の博氏も 同じ佐伯姓、てっきり血族 かと思ったがそうではない という。だが、共に山岳ガ イド発祥の地で、第一次南 極観測隊を成功に導いた5 人衆で有名な山麓の町・芦 峅寺(あしくらじ)の生 まれである。町のほとん どが立山開山伝説に端を 発する佐伯・志鷹の二姓 で占められるこの町、住 民同士が呼び合う際には 名前や屋号を用いること が多いとか。そういえば、 立山室堂山荘の主人も、 弥陀ヶ原ホテルの現支配 人も佐伯姓だった。食事 をご馳走になりながら、 衒いなく訥々と話される博社長の言葉の中からも、 立山に賭ける熱い思いを 感じ取ることができた。 帰り際、美女平まで降り る我々の乗ったバスを、 手を振りながら見送って いただいた姿が今も脳裏 に浮かぶ。

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