ビジョナリーな人たち 眞鍋寿男 有限会社藍布屋    代表取締役

2012-09-15

後援:観光庁
「にっぽん日和」は観光庁後援のコンテンツです

藍より出でてBLUE より青く

桃太郎の出陣が児島を活かす

今や世界ブランドとなった児島のジーンズ。 その歴史の中核は、江戸時代にまでさかのぼる。 今日に至る岡山・備中の職人魂は、 時代を経て脈々と受け継がれ、花を咲かせた。 「日本の青を大切にしたい」と、 何もわからないままに織機を買い、 ジーンズを作り始めた眞鍋寿男さん。 アメリカに憧れた男は今、 アメリカから憧れられる男になった。

眞鍋寿男

 1954年、倉敷市生まれ。南画家・太田琴袋に師事。1986年、 テキスタイル業界に入り、デザイナーを目指す。藍染めの魅力 に惹かれ、徳島に通う時期を経て、1992年、デニム中心のテ キスタイル会社『コレクト』設立。1996年には『藍布屋』を設立。 2 0 0 6 年に『桃太郎ジーンズ』を発表し、2 0 1 0 年には 『JAPAN BLUEジーンズ』を海外発売した。

学生服の味野商店街が ジーンズストリートになった理由

倉敷市児島地区。江戸時代から綿花が栽培 されてきたこの土地は、大正から昭和時代に は全国の男子学生服の70%を生産していた。 当時、四国や九州からやってきた働き手たち で最も賑わった街に、味野商店街がある。

平成の今、シャッターストリートとなった 味野商店街は、ジーンズストリートと名前を 変えた。無機質なシャッターのところどころ に色鮮やかなペイントが施されて、どこか異 国の風景を思わせる。商店街の空には、コジ マジーンズが、暖簾のようにはためいている。

「手を真っ青に染めて、ずっと突っ走ってき た」と自らの手を見つめるのは、現在、世界 に名を馳せる『JAPAN BLUE』『桃太 郎ジーンズ』を展開する眞鍋寿男さん。藍染 め工房からテキスタイルの企画・製造・販売へ。 自社で製造したデニム生地を、日本独自の青 (藍色)に染め、約25年前、児島から世界へ の挑戦を始めた。

「60年代初頭、若い人たちはアメリカに憧 れて、バイトをしたお金を全部アメリカの古 着につぎ込む時代がありました。当時はリー バイスで300万円もするようなジーンズも ありましたね。やがて蒐集だけでは物足りな くなって、復刻をするようになった。それが 90年 代 の 初 め く ら い 。 素 材 メ ー カ ー と し て の 僕らは、それをずっとサポートする立場でし たが、だんだんと日本人にしか出せない青の、日本人にしかできない生地を作りたいと思っ たんです。日本人らしさを出して、世界に通 用するかどうか試したくなったんですね」

眞鍋さんがこの業界に入ったのは31歳のと き。当時、手がけていたのは日本国中の生地 だった。しかし「ふと足元を見ると」、江戸 時代から続く児島の織物があったのだ。  「僕が子どもの頃、ここには大きな紡績工 場があって、高い塀の向こうで女工さんが働 いていて、ちょっと暗いイメージでした。若 い頃の僕はとんがったファッションを追いか けていたから特にそう思ったんでしょうね。 でも今、こんなに不況になっても、よそには 真似のできない織物がある。それなら自分た ちの産地をもっと活性化させようと、何もわ からないままに織機を買いました(笑)。機 械を自分で買ったという誇らしさが、他とは 違うんだという自信につながりました。そし てどこにも負けないジーンズを作ろうと会社 を設立しました」

児島という産地があるからこそ 桃太郎ジーンズがある

眞鍋さんはいわゆるVAN世代である。高 校時代、買った洋服を手帳につけて、次に買 いたいもののためにバイトをする。上から下 まで自分のこだわりのファッションでキメた 時代。そして50代になった今、たどり着いた のがジーンズだ。

「洋服の中で、これだけ安いものから高いものまで差があって、なおかつ子どもからお 年寄りまで着られる。そんな衣料って他にあ りますか?  数年前、最安値690円のジーンズが出た ときには、いろいろなメディアがここに来て、 もうこの産地も終わりだねと言われました。 でも僕は『いいんじゃないの?』と言いました。 だってそれがニュースになることで、今まで まったくジーンズに興味がなかった人にもア ピールするし、はくならいいのが欲しいとい う人もいる。しかもこの10年、20年は消費者 のモノの見方も非常に訓練されて、目が肥え てきたんじゃないかな。だから値段だけでは 選ばない。安ければいいという時代ではなく なってきていると思うんです」

桃太郎ジーンズの1レーベル〝GOING TO BATTLE〞に入った2本の線は、桃太郎が鬼退治に出かけたときの「出陣」を あらわすという。その名の通り、アメリカに 出陣し、すでに大陸を1周半くらいはしたと 眞鍋さん。

「外国人のスゴイところは、『お前はこれを どういう思いで作ったのか?』と必ず聞くこ と。だから胸を張って『自分が作った』と言 えなければダメなんです。 外国でBLUEと言えば1つしかないけれ ど、日本の青色は何十種類もあって、なおか つそれぞれに名前をつけて保存してきたんで す。浅葱色とか納戸色とかね。そんな文化は 他にありません。だから日本のジーンズはス ゴイと胸を張れるんです」

現在、ジーンズストリートには桃太郎ジーンズの他にも1 5〜1 6店舗があり、今年もまた 新たに5店舗が出店する。「これからまだま だ加速させなければ」という眞鍋さん。なぜ そこまで児島にこだわるのだろうか。

「我々の仕事は産地があるからこそ成り立 っています。産地がダメになれば、自分たち もダメになる。だからまずはこの街をジーン ズで活性化して、もっとたくさんの人に来て ほしい。そこから産地も含めた街全体の活性 化をしていきたいんです」  そして児島から世界を見つめる男、眞鍋寿 男は呟いた。

「世界は広い。僕はまだどんどん挑戦して いきますよ」

鬼退治出陣時、のぼりに描かれていた2本線を日本の線・ジャパン ラインとして登場したのが『GOING TO BATTLE』出陣レーベルです。 インディゴのみの染色は世界最濃。15.7オンス超高密度デニムは、 驚くほどソフトな履き心地です。

◎木村の視点

股上の感触に馴染めない こともあって、縁のなかっ た私だが、今や週の大半を ジーンズで過ごすように なった。元がゴールドラッ シュの折、鉱夫向けに開発 されたワークパンツとあっ てアメリカのイメージが強 いジーンズであるが、倉敷 の児島に世界的評価の高い ジーンズメーカーがあるの は驚きだった。原綿や糸で 探求を重ね、織物の限界に 挑戦し、手を藍で染めなが らブルーを追求し、超ロー テクの作業で最高峰のジー ンズを作る。桃太郎ジーン ズはそんなメーカーなのだ。「日本人しかできないもの を作って、世界一になりた かった」。そう語る眞鍋社 長のかっこ良かったこと。 「ジーンズ」の前にあえて 「桃太郎」と付けたところ にその心意気が表れている。 「男前だねえ、眞鍋さん!」。 私を含め取材スタッフが一 人残らずジーンズを買い求 めたのは言うまでもない。

イベントカレンダー

最新のお知らせ一覧

過去のお知らせ一覧

twitter
Copyright(c) 2011 地活NEWS All Rights Reserved.